会場は観客が多く、とてもじゃないけれどネットに掲載できる状況ではないので、図録だけでごめんなさい。会場撮影の場合はお客様への配慮が大切です。次から「許さん」なんてことにならないように。
●やっぱ京都でしょ?
展覧会名:西嶋豊彦個展
会場:日本橋高島屋
会期:2010年4月14日〜4月20日
私が東北生まれだから(田舎者だから)なのか、東京でしか仕事をしたことが無いからなのか、「京都」という街に、妙な反応を示してしまいます。だいたい、当時東日本の高校生の修学旅行の定番は京都だったのですが、私が通った学校はなぜか「東北一周」。どうやら私の京都崇拝の根っこはその辺にありそうです。
そんな訳で、展覧会を観ていても、京都の作家には一定の注意を払います。というか、たぶん「東京の作家には無いものがあるはずだ」と思い込んで観ているのですから、勝手にハードルを上げているだけなのかも知れません。考えてみれば、気の毒なようにも思います。
現在、京都で活躍している日本画家のなかで、私が気にしている作家の一人が西嶋さんです。うろ覚えですが、京都高島屋で開催していたNEXT展(1998〜2007)という京都作家の大規模なグループ展が日本橋高島屋でも開催されたときが、初めて西嶋さんの作品を観た展覧会だと思います。手元の資料では2002年の第5回展がそれにあたります。
彼の作品の特徴に光の使い方があります。作品がもっている柔らかなニュアンスの中に置かれた光は、まるで画面で踊っているかのようです。この光そのものが主役となる作品も、たぶん多いと思います。以前ハスに散らばる光の粒(ハスの葉だったと思う)を観たとき、しばらく作品の前で立ち止まっていました。それと関係しているのが、やさしい、柔らかな色使いです。背景と対象の色の絶妙なバランスで対象がふわりと浮きあがって、さらに、光がもう一段浮きあがります。大切なことは、その画面が決して強くないことです。重層的に画面を作れば、どんどんきつい色を使わざるを得ないように思いますが、そんな色は使っていませんし、厚塗りでもありません。画面が叫んでいない。西嶋さんは背景に哲学的な意味合いを考えて、特に注意して制作しているそうです。
西嶋さんはまた、作品を掛ける生活空間をイメージしながら制作しているとも話していました。展覧会で大作を出品することはもちろん悪いことではないのですが、どうしても、大作ゆえに描く側(特に若い世代)は「人生」とか、「存在」とか、重いテーマを選びがちですし、私がいた美術出版業界の人間も、ついついそんな作品を掲載用に選んでしまいます。けれど、そのような作品はたいがい「強い絵」、つまり色や構図のインパクトが強い作品になりますから、掛けられる場を選ぶことになるでしょう。かといって、一般的に解りやすい作品だけでよいという訳でもありません。両者に納得してもらうことは、至難の業です。自身の反省も含め、いろいろと勉強をした展覧会でした。
薄く微妙な色合いで、会場の光線の加減もあり、とても私の手に負える撮影ではないのですが、敢えて。機会があったらぜひご自分の目で!(すげー無責任)
蚊帳に入ったホタル。表装にまではみだした構図がなんともイイですね。
大作は、樹木のなかの水分をイメージした作品とのことでした。
今週の思い出: 風の孤独 四竈公子展カタログ
つい先日、4月3日〜6月20日まで長野県東御市にある東御市梅野記念絵画館で開催中の四竃公子(しかま・きみこ)さんの展覧会で準備されたカタログを、四竃さんがわざわざ送ってくれました。実は、私が退職をしたことを知らずに以前の勤め先に送ってくれたものを、以前の同僚が転送してくれました。
幾度か四竃さんの作品を銀座で観たことがありますが、先ほどの西嶋さんとは逆に、どんどん強い色を使う作家です。けれど、描かれている風景に詩情があるといったら、「あんたにゃ似合わん」と笑われるかな?心が締め付けられるような作品です。それだけ強いのだけれども、この作品も「叫んでいない」のは、たぶん「私が、私が」という作品ではないからなのでしょう。
カタログは¥1,500で販売しているそうです。気になる方は0268(61)6161東御市梅野記念絵画館へどうぞ。
もうひとつ、梅野さんって、まだ元気だったんだ……。20年ほど前、京橋で「美術研究・藝林」という画廊を開いていました。原稿を貰いに通った記憶があります。覚えてないだろうなぁ。長野、いこうかな……。