会場に着くと、出品者の皆さん(知り合いが多い)がお出迎え。彼らとは何年越しの付き合いなんだろう?たぶん、10年では足りない、長い付き合いであることは確かです。
いまメンバーの名前を入力して、改めて大きな集団になったと感じました。もともと、今回の会場のほとんど正面にある藤屋画廊で開催していましたが、だんだん人数が増えて会場探しも大変になり、私も一緒になって問い合わせをしてみたりなんてことも思い出されます。グループの方向も、初めは米谷清和さんを慕うメンバーを中心にした、一種の研究展と私は捉えていました。米谷さんのほかにも、森脇正人さん、中村徹さんが参加していましたので、自然と日展日本画の画塾(画塾=ある先生の下に集まり、指導を受けるのが目的。一般的にはこれにより○○門下とみなされる。最近の日展東京側では属さない人も多い。日展京都側や院展には多い)みたいな構成になりましたが、実は無所属の作家も多く参加していました。米谷さんは日展内の派閥となってしまわないよう、気を使っていたのでしょう。直接にゆっくりとお話を聴いてはおりませんが、自由な発想で、画壇内での力関係などとは無縁なグループ展を若い作家に開催させたかったのだと思います。そこで、次第に米谷さんら先輩チームは徐々にメンバーから抜けてゆき、米谷さん自身も身を引きました。
今年はそうゆうスタートでしたから、ちょっと参加作家も心細かったのかもしれません。
もともと、洋画の作家に比べ日本画の作家は学生時代から身を寄せ合う習慣があるようです。日本画家は学生時代から絶対数が少ない(2011年多摩美募集では油画110名に対し日本画23名)のと、画塾が当たり前だった頃の風潮もあるのでしょう。今回は案内状を画廊に置いてもらうのも、美術雑誌に記事掲載を頼むのも、集団でぞろぞろ動いていました。人数が増えると移動には時間がかかって効率が悪いし、集団で押し掛けられた方も大変だったと思います。このへんは、ちょっと子供っぽかったのかも知れません。
私などはそのような彼らの習慣があったからこそ日本画の友人が増えたのですから、こんなことを言えた義理ではないのでしょうが、「作品は独りで創るもの」なわけですし、なによりも仕事なのですから、「みんなで銀座に集合してお昼を食べて……」などというノリは、やはり控えるべきでしょう。
作品は、もちろん良い作品も多いのですが、近作の焼き直しとか、無難な路線に軌道修正したようなものも見受けられ、気概がいまひとつ感じられません。「どうだ!」という作品が少ないのです。どうかすると、おっかなびっくりといった感じでしょうか?
だからと言ってこの展覧会が不要なものかと言われれば、そうではありません。作家が作品を持ち寄って研鑽しあう展覧会はやはり重要と私は考えます。ただ、運営にやや甘さが感じられるというだけです。皆で会期中に合評会でも開いてみるのも一案でしょう。
例によって私が勝手に期待値を上げていたものだから、ちょっと辛めのお話になってしまいましたが、今回の渺渺展は全体的に緊張感をもうひとランク上に持っていって欲しかったということですね。
出品者(50音順)
青木志子、青木惠、朝倉隆文、池田真理子、伊東正次、岩田壮平、鵜飼義丈、金子絵里、坂本藍子、木下めいこ、清見佳奈子、佐伯千尋、櫻井伸浩、佐藤陽子、清水研二朗、たなかなみこ、棚町宜弘、野田夕希、服部泰一、平野美加、廣瀬佐紀子、松崎十朗、三浦弘、水野寛奈、南聡、森美樹、行近壯之助、吉岡順一、吉田千恵、渡邉智子。
間違ってないよなぁ……。この夏、他でも出品しているメンバーも数人いました。皆さん頑張っているのですから、もっと弾けて欲しいですね。
岩田君は得意の花を屏風仕立で出品。綺麗ですし、屏風という選択も大人っぽいのですが、ちょっと物足りなさが残ります。
普段は細かい描き込みを得意とする鵜飼君は、なぜかキリン。成功かどうかは別として、こんなチャレンジがもっとあっても良いと思うのです。
前回グラマラスで「おっ」と思った平野さん。これじゃ戻し過ぎ?
●これからの楽しみ
展覧会名:ガロン第一回展
会場:白金台瑞聖寺内 ZAPギャラリー
会期:2010年6月13日〜6月20日
この展覧会は今回が第一回展になります。市川裕司、大浦雅臣、金子朋樹、小金沢智、佐藤裕一郎、西川芳孝、松永龍太郎。小金沢君は作家ではなく美術史を専門とする研究者ですが、この企画の言いだしっぺは金子君で、構想自体はずいぶんと以前からあったようです。私が一番初めにそれらしい話を聞いたのは、スルガ台画廊での個展会場でしたから、たぶん5年前。そのときからこのメンバーをイメージしていたかどうかは解りませんが、彼は「メタ展みたいな展覧会をやりたい」と話していました。「どんどんやればいいじゃない!どんどんやって、ばかすか面白い作品を見せてくれ!」そのとき私がどんな返答をしたのかすでに忘れてしまいましたが、たぶん、そんなことを言ったのだろうと思います。なぜなら、今でもそう思っているからです。
作品は誰かに観てもらわなければ始まりません。まぁ、自分のためだけというナルシスなひとがいても構いませんが、そういう混ぜっ返しは置いておきます。けれど、発表するためには制作費や会場費といったお金が必要という現実もあり、そうちょくちょく発表する訳にも行きませんし、もちろん描いた作品すべてが発表に適う訳ではないでしょうから、作品を貯めるまで時間がかかることもしばしばです。しかし、それでも私は、年に一度は大作を観せるべきだと思っています。そして会場でいろいろな話を聴いて、また糧として欲しいと思いますし、だいたいにして「5年に一度」なんてことになったら、こっちが忘れてしまうでしょう。グループ展が多い訳はそこにあります。とくに若手作家のグループ展
は、比較的貸し会場が安く、画廊の企画が少なくなる夏に多く開かれます。「芸術の秋」などは、やはり貸し会場も混みますし、高額になる傾向があります。
この展覧会で気がついたことは、「場」の作用です。初めて訪れる会場(なんとお寺の敷地内)で、情けないことに道に迷って目黒通りの反対側を探していた私は、会場に着いた時にはもうグダグダ。展示場に畳の部屋があるのを幸い、横にならせてもらいました(失礼な奴!受付にいた今回もメカ龍を出している大浦くんは笑いながら「金田一さんのことオブジェっときます」なんて言ってくれましたが、皆さんはくれぐれもマネをしないように!)。横になって立てた肘に頭を載せていると、当たり前ですが目の前にあるモノをじっと見ることになります。この場合はいわゆる水墨画で、西川君の作品でした。普段は墨の作品にさほど注意を払うことがないのですが、畳+昼寝というシチュエーションで観る墨の作品のなんと自然なこと!細かいところにいろいろ注文を出したいことはあるにしろ、「やっぱ、畳にぁ墨」。そう、板敷きやコンクリ打ちっぱなしの画廊ではこの感覚は味わえない。「日本人には畳」とはよく言われますが、「日本人には墨」と言いそうになりますが、ここは先走っちゃいけないところ。しかし逆に考えてみれば、いままで私が観てきた数々の水墨画だって、畳の上で観ればもっと良かったのかもしれません。思わず「むむむ……」。
注釈(えらそ〜に):作品を発表するためには幾つか方法があります。画廊で発表する場合、企画といって、基本的に画商さんが発表のための経費を持つ場合と、貸しといって作家から使用料を取ってスペースを貸す場合があります。おおよそは「企画画廊」、「貸画廊」と住み分けがありますが、両方やっている画廊もあります。「じゃあ、企画でやっている作家以外は素人ってこと?」と、以前呑み屋で訊かれたことがありますが、そうとは限りません。プロの作家だって実験的作品でやってみたいことや、売ることの難しいでかい作品を描きたい時、画商さんに遠慮したくない時などがあり、そんなときにわざわざ「貸画廊」を使うことがあります。もっとも、最近は景気の悪さのせいで、「企画」といってもかなりの部分を作家負担としたり、「貸し」といっても半額くらいだったりと、あまり違いが判らなくなっているのが現実です。まぁ、観る側としては企画・貸しに拘わらず、面白ければ良いのですから、そこで判断するよりも、自分の眼で判断する方が良いのは当たり前です。
私が昼寝をした場所にあった西川君の作品。この作品は、意識的に滲みやぼかしを排除して制作したそうです。水墨では、最近少数派。この会場は、美術に関心のある瑞聖寺のご住職が、若手のアーティストに貸してくれているそうです。普段はご法事などに使われるのでしょうね。
こちらは現代美術に合いそうな部屋。作品は金子君。少々たわんでいるように見えますが、これはわざと画面にアールをつけているそうで、観る側に迫ってくるように見せる狙いがあるそうです。テーマは普天間かと思いきや、どうやら富士山麓の自衛隊基地あたりらしい。ヘリのシルエットには臨場感があります。結構研究しているっぽいですね。
今週の一枚:
‘Round Midnight Thelonious Monk
この頃いろいろないわゆる若手の展覧会を観て思ったことは、「どのくらい好きになれるか」ということです。これをもうちょっと私的な発言に直すと、「どのくらいバカになれるか」となります。「好きなことなら何でもやっちゃう」。「人にどう思われようが、やりたいことはやってしまう」。そんなエネルギーを持っている作家だから、面白いものができる。体面やら、ウケを狙っていたってつまらない作品になるのがオチ。そんなことを考えていたら、このレコードを思い出しました。
有名なジャズのレコードにセロニアス・モンクの「セロニアス・ヒムセルフ」というレコードがありますが、今回紹介するこのレコードのA面すべてには「セロニアス・ヒムセルフ」に入っている「ラウンド・ミッドナイト」という人気曲の「okテイク以外」というか、結局仕上がらずに一週間後に録り直しになった「経過」が記録されています。タイトルも「ラウンド・ミッドナイト・インプログレス」。しかも、ミキサー室とのやりとりまで。
ちなみに、この曲はいろいろな人が録音していますし、CDのタイトルとしても多いのですが、モンクの作曲です。ラウンド・アバウト・ミッドナイトも同じ曲です。
録音された’57年当時のテープがリバーサイドというレーベルに残っていたこと自体は、その後のモンクの人気やこの会社の姿勢などを考えればさほど不思議なことではないのですが、それをレコードにして「売っちゃう」?発売されたのは’83年です。¥2,000とジャケットにありますが、どの程度売れたのでしょうか?いくら’80年代にジャズが流行っていたと言っても、こんな企画がよく通ったものだと感心します。偉かった!ビクター音楽産業。いまはビクターエンターテインメント?いまでもこんなバカな企画をやってくれているのでしょうか?
まあ、当時のブルーノートやリバーサイドに関するお話や、セロニアス・モンクに関することは他のページで調べてもらうとして、とにかく私は世の中にはこんなバカな商品も存在しているということを知って欲しかった訳です。作りだした人たちはやっぱりバカなんだろうなぁ。憧れちゃうなぁ。買った私もバカだよなぁ(自画自賛?)。
あ、オススメといっても、ジャズをあまり知らない人は、先に「〜ヒムセルフ」を買ってね。このレコードはそもそもCD化されたんだろうか?念のため、私のレコードはVIJ−4032です。ジャケットの上部が茶色いのは、タバコ焼け?