アッというま2010年も終わってしまいました。大汗をかきながら銀座を廻っていたのがついこの前のことだったのに、なんということでしょう。
2010年を振り返りつつ気になったことのひとつに、いわゆる「写実」と呼ばれる洋画があります。
9月か10月に新聞にホキ美術館の全面広告がでて、業界関係者はみんなびっくりしたと思います。私もびっくりしました。いったい、広告料はどれだけなんだろう?
まぁ、それはそれとして、その頃テレビでも紹介があったと思いますが、それを観た近所の酒屋さんのお兄さんまで、「写実っていうの?ぼくもああいうのだったら、わかるんですよね!」(彼は私の仕事をある程度知っている)と、嬉しそうに話していました。誰でもスゴイと思える美術。解りやすい美術。美術ファンが増えること自体は喜ばしいのですが、「キレイに描けばそれでok」という風潮が銀座にまで流れていたことに、アタマのなかに「?」を浮かべていたのは私だけではなかったと思います。
石田君は白日会に出品している作家です。たいがい静物なのですが、ちょっとひと癖あるぬめりをもったマティエールがわたしの好みです。この「ぬめり」ですが、これがありそうで実はなかなかない。ただキレイに描いてある作品はバックがスコンと抜けていて、いくら美人が描かれていたって私は飽きちゃいます。ところが、この「ぬめり」があると、対象は妖しさを纏って、観ていて飽きさせない作品になります。もっとも、好き嫌いはあると思いますから、「オレはスコンとした画面が好きだ」というなら、それはそれで良いのですが、問題は、最近の写実がその「スコン」ばっかりだということです。だから、「写実」というと「キレイな女性が描かれた明るい絵画」というように、短絡的に捉えられちゃいがちになっているし、銀座の画商さんも「売れるから」、「軽くて明るい美人画」を描ける作家をどんどん紹介していました。石田君のように癖がある作品は、そんな作品に比べると地味かもしれませんし、画商さんによっては「売りにくい」かもしれません。けれども、そろそろ「軽め」の作品にはみんな飽きちゃった頃だということを、画商さんも、作家自体も考えた方がよいでしょう。
会場風景。反対側の壁に人物もありましたが、私の好みはやっぱり静物。配置の塩梅も大切ですが、背景も含めた空気感が重要なファクターです。
私が会場に入ったとき、偶然、笠井誠一先生が会場で石田君と話をしておられました。印象に残ったのが、「私も静物屋ですから……」という言葉。自分の仕事に自信を持って「静物屋」という言葉を使う巨匠は、かっこいいですね。
●ぼよよ〜ん
展覧会名:URUSHI BODY 青木千絵展
会場:京橋 INAXギャラリー
会期:2011年1月7日〜1月28日
彼女を知ったのは2006年だから、もう5年も前。ちょっとした用事で多摩美に出掛けたことがあって、そのときたまたま学内で行われていたTAMA VIVANT 2006に出品していたのを観たのが初めてでした。相撲をしていたら融合しちゃった人間のようなユーモラスな形と、なによりとてつもなく深い色。「漆?」作品についているプレートをみて、思わず声に出しちゃいました。だって漆っていったら、蒔絵の文箱とか、おぼんとか。まぁ、貧相なイメージしかなかったのですが、金沢美大の学生と聞いてちょっと納得。輪島塗とか連想したんですね。これも貧相だけれど。
そのあと金沢まで取材にも行ったけれど、それからはなにせ学生ですからそんなにちょくちょく作品の発表はできません。地方に住んでいて東京で発表となると、なおさら難しい。そのうち私自身も会社をおん出されるし、彼女も卒業したからか、引っ越しちゃって音信不通。じつは再会を半分諦めていました。そんなわけで、今年の年賀状のなかに彼女の展覧会の案内状があるのを見つけた時はウレシカッタ!
もっとも、今回の展覧会にも新作は多くありません。そもそも寡作な作家らしく、一点に半年以上かかることもよくあるらしい。けれど、新作の明らかに妊婦をイメージした作品を観て、「彼女も大人になったんだなぁ」とか、「取材した頃の作品に比べて塗りが丁寧だな」とか思っていると、また近いうちに観てみたいなと思うのです。
この、ポヨンとしたフォルムには面白味があります。イナックスのパンフを読むと結構真摯なテーマなのですが、この諧謔味もやっぱり魅力のひとつ。あまりマジメになりすぎず、ゆったりと制作を続けてほしいですね。
例によって、質感が上手くでない写真ですが、漆が持っている深みっていうのは他にはなかなか見つけられないでしょう。けれど、カタログ上、英訳するとlacquer(ラッカー)。よく言われるような「ジャパン」なんて使わない。でも、「ラッカー」って言われてもなぁ。
土台になているのはスタイロフォーム。作品によっては、石膏も使っているらしい。
今週の一冊:
「三十年戦史」岩波文庫(全2巻)著:シルレル 訳:渡辺格司
「舊ヘ」って読める?
明けましておめでとうございます。2011年の手始めは、ちょいと硬め。
古本屋で見つけた、1944年発行、88年第2刷発行(!)の文庫本。
プラモデルの戦車好きが昂じて、戦史物は結構読みますが、読めば読むほど「そうなった原因」が気になるのが歴史物の面白いところ。最近、第一次、普仏戦争、クリミア戦争、フランス革命などに関する本を片っ端から読んでいます。
で、苦労しました。この本が書かれたのは1790〜93年。訳されたのは1942年。写真の通り、どうやら当時出版されたものを「そのまま」復刻したらしい。そのままだから、当然ですが、「旧字体・旧かな使い」です。とくに、当て字の国名が凄まじい。フランスは佛蘭西、ドイツは獨逸。これなら解る。西班牙や和蘭、土耳古はちょっと難しいけれど、まぁ許容の範疇。けれど、丁抹、瑞典、蘇克蘭、波蘭、白耳義東南部……。どうしたかというと、世界地図とにらめっこしながら、「ていまつ、ていまつ、てんまつ、てん……デンマーク!」「ずいてん、ずいてん……ん?グスタフ・アードルフ?あぁ、スウェーデン!」と、まるで小学生のだじゃれみたいな解き方で読みました。もちろんそれだけではなくて、「斯くの如き無と化し去ったのである」、「疑わしむるも宜なる哉である」(う〜ん、格調高い)。「さうかうする中に……」、「對岸の様子を探らうと……」(「探らう」って、なんかいいな)。「雙方」(双方)「偵察中に二十四封度砲彈が王の乘馬を仆したため……」。これなど、最初は「24回も馬が死んだ」ようにみえて、「24ポンド砲弾」だと判った時には、大笑い。
けれど、ちょっと考えると恐ろしいわけです。だって、翻訳されて約70年。たったそれだけの歳月で、翻訳者とコミュニケーションが取れなくなってしまっているわけでしょ?出版の、片隅とはいえこんな世界で仕事をしている私としては怖いものです。まぁ、わたしゃ70年も残りませんけどね。
ところで、本の内容はそのものズバリ30年戦争(1618〜48)の経過が語られています。そもそもこの戦争、私はてっきり30年間続いていたものだとばかり思っていたのですが、そうではないことをついこの前知りました。実際は断続的にいくつもの戦争が続いていたそうです。それに、この戦争を境にプロテスタントに対する抑圧も止んだと思っていたのですが、それも間違い。世の中、まだまだ解らないことばかりです。オマケに30年戦争って、よく「最後の宗教戦争」なんて見出しがついていますが、じゃあ、現在あちこちで起こっている紛争は宗教戦争じゃないというのでしょうか?これもまた、よく解らない。
※文中、西班牙(スペイン)、和蘭(オランダ)、土耳古(トルコ)、丁抹(デンマーク)、瑞典(スウェーデン)、波蘭(ポーランド)、白耳義(ベルギー)ですが、蘇克蘭(スコットランド)だけ、私のPCは蘇格蘭になります。時代によっても表記が違うのかもしれません。